ごあいさつ

ここ鹿背山は、京都府南部木津町の東端、木津川南岸に接し

 

『万葉集』には、

「鹿背の山 樹立ちを繁み朝さらず 来鳴きどよもす鶯の声」


『古今和歌集』には、

「都いでて 今日美加の原いづみ河 川風さむし衣かせ山」

などと詠まれ

 

『枕草子』には、

「山はをぐら山・かせ山・みかさ山・・・」と

泉川(木津川の旧名)と共に歌枕の地として早くから知られ
てきました。

 

 西念寺は、奈良興福寺・西大寺などと深い関わりを持ち

つづけてきた寺々の一つ、中世はもちろん戦国時代まで

鹿山・鹿山寺などと称されて来た寺院の一塔頭寺院・浄勝寺

が、江戸時代には鹿背山村人の先祖をおまつりする浄土宗の

寺となり、元禄6年(1693)西念寺と改称され今日に至って

います。

 

 鹿背山には、現在も須恵器が出土し、奈良時代の瓦窯跡が

あり、古くから粘土・陶土が沢山あり、燃料となる松わり木

など焼き物造りの条件が揃った土地柄であったことを示して

います。 西念寺には、東大寺建立につくられた行基菩薩が

鹿山寺を創められたという伝説をと伝える『鹿山寺略縁起』

の古い版木が残っています。

 

これには、行基作になる薬師如来立像がまつられていたこと

になります。しかし、現在、当寺薬師堂におまつりする

旧本尊・薬師如来は坐像で、作風は平安時代後期のものです。

 

このホームページをご覧いただいたご縁に、鹿背山の自然と

歴史と文化の一端にふれていただき、オゾン溢れる鹿背山の

散策とお楽しみに役立てていただければ幸いです。

 

        鹿山 医王院 西念寺 住職 田辺 英夫